2015年11月10日

シナの走狗に自由は必要か

 日本のマスコミの9割は反日親日で分類すれば反日側に入ると思うのだけれど、反日の最先端にいるのがいうまでもなく捏造新聞や変態新聞。日付以外は全部ウソとはよくいったもので、自分たちの都合のいいように切りぬき張りぼての記事を作成 まあそれをねつ造といっても過言でないんだけど。
 で、ここ数年でその正体もばれてしまって要するにこの反日マスコミはほどんどバックがシナだったわけで、だからその論調が人民日報とほとんどたがわない。本人たちは気が付いていないけど共産党独裁のシナの論調が議会制身主主義の日本で通じるはずもない。だからシナ司令部の命令で「民意は選挙じゃない」とか「
日本は中韓に土下座して謝り続けるんだ」としきりに吹聴しても日本の民衆の感覚とはかけ離れていてふえをふいても以前のようには踊ってくれない。
 このシナの走狗たちが愛用してきたのが「人権」や「平和」。シナとは対極の概念だけど、民主主義国家である日本では不変の概念で反対する人はいない。反対する人がいないのにつけこんで「人権は絶対だ。表現の自由を守れ」と恫喝しながら捏造報道を平気で行い日本を貶め、その進路を謝らそうとする。また平和を脅かすなと言って国防を妨げようとする。走狗の詭弁から国益を守るためには走狗たちの狂った言論を制約しなくてはならないのだけれど、そこは民主主義国家日本、民衆の知恵で走狗の詭弁を見破りれるはずで、いま日本はその試練にたたされている。走狗の自由を制限したい気持ちはその傍若無人ぶりをみるとやまやまだけれど、民衆の知恵でこれに立ち向かっていかなくてはならない。それが人権の本質だ。
posted by 人権太郎 at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/429352393

この記事へのトラックバック